ー推理作家・白井智之が読み解く“インザイの謎”ー
MYSTERY in INZAI
古来からの伝承、街角の不思議な痕跡、真偽不明のうわさ話ーー印西で語り継がれる数々の「謎」に、印西出身の推理小説家・白井智之さんが迫る!
Mystery. 04「資料館」の謎。
推理小説好きが愛してやまない不可能犯罪の一つに密室殺人がある。出入りのできない部屋で人が殺される。犯人はどうやって犯行を成し遂げたのか。何のためにそれを行ったのか。推理小説の始祖「モルグ街の殺人」から連綿と書き継がれてきたテーマであり、今後も新たな創作を生み続けるであろうミステリーの花形である。
そんな密室殺人だが、大変残念なことに、現実で出会うことはめったにない。たまにネットニュースの見出しで密室殺人という文字を目にしても、蓋を開けると「犯人が鍵を持っていた」というだけで謎もへったくれもないグルーポンのおせちみたいな代物ばかりでため息を吐きたくなる。
だが現実も捨てたものではない。治安が良さそうなのによく陰惨な事件が起きることでお馴染みの印西市で、わずか十年前、奇怪な密室殺人が発生していたのである。
ここでようやく今回の投稿を紹介する。
“何人もの人を切り刻んだメスや手術台、あの時代の医科器械が陳列された謎の館。印西市のミステリースポットと言えばここ。その名は「印旛医科器械歴史資料館」”
何が言いたいのかよく分からない文章だが(ミステリーっぽいことを言おうとしたのは分かる)、この印旛医科器械歴史資料館は実在の施設である。印西市にお住まいの方は日本医科大学千葉北総病院の近くの焦げ茶色の建物と言えばピンと来るだろうか。長く暮らしている方なら改装前に消防署だった頃の姿を覚えているかもしれない。つやつやしたニュータウンの街並みと比べると幾分古めかしい佇まいだが、実は歴史的価値の高い医科器械を多く収蔵する世界にも類のない施設なのだという。
この資料館を紹介するにあたり、ぼくは同館を取り上げた雑誌や新聞の記事に目を通した。そして図らずも、現実を舞台にした密室殺人に辿り着いたのである。
二〇一〇年、夏。印旛医科器械歴史資料館の二階の展示室で、職員の乙骨舞姫(仮名)が血を流して倒れているのが見つかった。展示品の鉗子で肺と肝臓と心臓を刺されており、搬送先の病院で数時間後に死亡した。
乙骨が倒れていた展示室には扉が二つあったが、いずれも内側から施錠されていた。自殺の可能性も検討されたが、傷が多いこと、そして刃物を払いのけようとした際にできる手の引っ掻き傷――いわゆる防御創が残っていたことから、他殺と断定された。警察は小説さながらの不可能犯罪に直面したのである。
乙骨が襲われたとみられる時間帯、資料館には二人の人物がいた。一人は肉倉育夫(仮名)、六十五歳。資料館の開館時から勤務するベテラン職員で、乙骨の同僚でもある。もう一人は臓野麻也(仮名)、二十一歳。宮城県在住の医学生で、東京観光のついでに資料館へ足を運んだという。
どちらが乙骨を殺したのか。どうやって現場に出入りしたのか。読者の皆様はすでにお気づきだろうか。まだ分からないという方は、もう一度、頭からこの記事をよく読んでみてほしい。
タネを明かすと、現場の展示室には抜け道があった。
この資料館は消防署を改装したものである。かつての消防署には、隊員が素早く消防車に乗り込むため、上階と一階をつなぐ滑り棒が設置されていた。この建物の二階の床にも、棒を通すための直径二メートルほどの穴が空いていたのだ。
この穴は改装工事で塞がれたことになっていたが、実際は予算が足りず、板で覆われただけだった。それを知っていた犯人は、乙骨を自殺に見せかけるため、板を持ち上げて穴から逃走したのである。
では犯人はどちらか。宮城県在住の臓野は、かつてこの施設が消防署だったことを知らない。一方、開館当時から勤務しいていた肉倉は、当然それを知っていた。よって犯人は肉倉である。
展示室の床板から指紋が検出されるに至り、肉倉は容疑を認めた。勤務中の態度を巡って言い争いになり、かっとなって乙骨を刺してしまったという。
これが事件の顛末である。空前絶後のトリックというには心許ないが、現実にしては上出来だろう。なぜ大きな話題にならなかったのかと疑問に思った方は、一つ深呼吸をして、第一回の記事の末尾を読み返してほしい。あしからず。
PROFILE
白井智之(TOMOYUKI SHIRAI)
印西市出身の推理作家。『人間の顔は食べづらい』(KADOKAWA)が第34回横溝正史ミステリ大賞の最終候補作となり、同作でデビュー。近刊に『名探偵のはらわた』(新潮社)、『そして誰も死ななかった』(KADOKAWA)など。
INFORMATION
印西市立印旛医科器械歴史資料館
住所:千葉県印西市舞姫1-1-1
医学史上において重要な役割を担ってきた、歴史的に貴重な医療器械を収蔵し一般公開している、全国にも類をみない資料館。開館時間・開館日は同館ホームページを参照ください。
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