ー推理作家・白井智之が読み解く“インザイの謎”ー
MYSTERY in INZAI
古来からの伝承、街角の不思議な痕跡、真偽不明のうわさ話ーー印西で語り継がれる数々の「謎」に、印西出身の推理小説家・白井智之さんが迫る!
Mystery. 06松虫姫伝説の謎 前編
印西市民は昔話が好きなのか、現実が退屈すぎるのか知らないが、第一回目で取り上げた龍伝説に次いで投稿が多かったのが、松虫姫の伝説だった。
奈良時代、病に臥せった松虫姫(聖武天皇の第三皇女)が、夢のお告げを信じて萩原の里(現在の印西市松虫)の薬師堂を訪ね、病を治したというのが大まかな粗筋である。詳しく紹介するとそれだけで原稿が埋まってしまうから、松虫寺のWebサイトに掲載されている伝承の説明をご一読いただきたい。
月へ帰ったかぐや姫や天の川に恋を引き裂かれた織姫と比べるとさすがに小ぢんまりした話だが、山賊や大蛇との闘いは冒険活劇のようだし、悲しい後日談も胸に残る。
松虫寺ではこれまで、松虫姫伝説を漫画化したりノベライズしたりと、様々な形で伝承の世界を表現してきた。ここは一つ、推理作家の端くれとして、この伝承の謎に挑んでみたい。もし松虫姫伝説が実話だったら、一連の超常的な現象を合理的に説明することはできるのか? そんな思考実験をやってみようというわけである。松虫寺の縁起にけちを付けるようで些か罰当たりだが、こんな企画を了承した印西市の責任ということでご容赦願いたい。
初めに、この伝承の謎、つまり不可解な点を整理してみる。謎は二つある。
一つ目は、言うまでもなく、不治と思われた病気がなぜ治癒したのかという謎である。薬師如来のご利益と言ってしまえばそれまでだが、現実の病気は神頼みでは治らない。
二つ目は、なぜ牛が自ら命を絶ったのかという謎である。姫との別れを知った老牛は、ひどく悲しみ、自ら池に身を投じた。鶴が機を織るとか熊が相撲を取るというのは昔話では定番だが、現実にそんな動物はいない。仮にこの伝承が薬師如来のありがたみを説く寓話だったとしても、牛が池に身を投げる理由はよく分からない。
他にも印旛沼に土が浮かんだとか杖の木が根付いたとかいう荒唐無稽な話が出てくるが、これらは物語を壮大に感じさせる一種の演出だろうから、ここでは脇にのけておく。
ぼくは手始めに、松虫姫が患った病気を調べてみることにした。この病気が平城京の気候や生活に起因していたとすれば、下総へ旅に出たことで、自然と症状が治まった可能性があるからだ。
『利根川図志』(赤松宗旦著、柳田国男校訂/岩波文庫)を紐解くと、『松蟲皇女廟』という項に短い記述がある。ここでは姫の罹った病としてハンセン病を示す言葉が使われているが、日本で大風子油によるハンセン病の治療が行われたのは江戸時代以降のこと。当時の下総に未知の治療法があったと考えるのは無理がある。
『房総の不思議な話、珍しい話』(大衆文学研究会千葉支部/崙書房)では、天平時代に流行した史実から、姫が天然痘に罹っていた可能性が指摘されている。だが天然痘ワクチンが開発されるのは十八世紀であり、抗ウイルス薬は現在も存在していない。やはり下総へ来たところで症状が改善するとは思えない。
ぼくは頭を抱えた。そもそも推理作家というのは謎をつくる仕事であり、謎を解く仕事ではない。ましてや一三〇〇年前の伝承の謎を解明するというのは荷が重過ぎる。いつも通り、印西市の悪口でも書いてお茶を濁そうと決めた、そのとき――
ぼくはふと、松虫姫伝説に登場したある人物の行動に疑問を持った。その人物に注目して資料を読み返すと、瞬く間に二つの謎が解けてしまったのである。
<後編に続く>
INFORMATION
松虫寺
住所:千葉県印西市松虫7
奈良時代に創建されたといわれる、真言宗豊山派の寺院。「松虫姫の伝説」をはじめ、お寺にまつわる情報は松虫寺ホームページをご参照ください。
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